どっぷりロシア

知れば知るほど不可思議なロシア、もうどっぷり浸かってしまってます。

東京外国語大学TUFSオープンアカデミー主催
2009年度市民講座 亀山郁夫学長講演
甦るドストエフスキー -『罪と罰』と『カラマーゾフの兄弟』の世界
第1回 5月16日(土) 「罪と罰の不条理 -ラスコーリニコフはどうさばかれたのか?」

年明けのトッパンホールでのショスタコNr15の室内楽編に寄せられていた亀山学長のコメントが素晴らしく、依頼先生の書かれたものを探しては読み、、、今回は講演ということでその語りに直に触れられるということで出かけてきました。
トッパンホールプレスで略歴を知るまで、私は亀山先生は京都のご出身かと思っていたのです、文章から感じられる居住まいがなんとなく京都っぽいので。でも栃木県ご出身、東京外大→東大院、でもその後関西の大学で教鞭をとっていらしたということでそのへんもあるのか。(でもたぶん私の中で、日本でのロシア音楽で一番に思い浮かべるのが朝比奈さんの恩師、メッテル先生なのでロシア=京大→ロシア=京都なのかもしれない。)

さて、「罪と罰」です。
亀山先生がこの作品に出会われたのが13歳のときだそうですが、私の年齢と、いわゆる団塊の世代、幼少時に家庭の書棚に並ぶラインナップのなんと違うことか・・・を実感。私の両親の時代もやっぱり、書斎に並んでいたのは世界の文学であり、私が中高時代の文学と作者の組み合わせの暗記に苦心している傍で、それらの作品についてきちんと読んでいる親世代はすごいな~と思ったもんです。
本書の内容についてはさておき、この作品の背景を知れば知るほど、文学ってなんと深いものかと作家の偉大さに圧倒され、そして外国書を翻訳される方の作業過程に気が遠くなり、書物を通して触れる外国、とくにその文学など言語を介するもの、の、紹介者の責任の重さをひしひしと感じたのでした。
音楽だと耳に入るのはとりあえずメロディーなのでまだしも、それが言語となると、対象を表す言葉が日本語に存在しない、その概念が無い、舞台となった地域の風習を理解していないとぴんとこない、などその作品を理解するにはなんと高いハードル、いや、ハードルどころではなくとてつもなく高い山、があることか。
いや、音楽にしても、メロディーが生まれる基礎にその土地の言葉のイントネーションが反映されているであろうから、感じ方もずいぶん違うのだろうし。

閑話休題。

配られたレジュメに書かれた多くの謎を追いながら、もう一度本作品読みたいと思います。まるで地図を持って進むオリエンテーリングのようで、ちょっとわくわくします。

本講演の第2回は6月13日(土)13:30~15:00@東京外国語大学。「黙過のリアリティーイワン・カラマーゾフの悲劇」です。

大学が独法化され、学長は大学の顔、東京外大は恵まれていると思います。
[PR]
by felice_vita | 2009-05-17 08:01 | 日々雑記
<< 晩秋のゲルギー&マリインスキー... 深大寺散歩 >>