○○離れ、××嫌い、お次は△△難民

暗い現実を知らしめるのにはキャッチーな表現が良いのかもしれませんが、時々こういった表現がさらに事態を悪化させているのではないかと感じています。
理系離れ、数学嫌い、理科嫌い、英語嫌い、そして今増えているのはがん難民に今日の新聞で初見の「リハビリ難民」。
確かにこういう現実があり、それを改善しなければならない。
でも、例えば理系離れという言葉が、私は理系離れを促進したのではないかと疑っています。
学校崩壊という言葉も、この登場によって現在の教育現場を知ることはできましたがそれがあたかも殆どの学校がそうであるように思わせ、学校に対する懐疑と同時に敬遠を生んでしまったのではないでしょうか。かつて私の世代では教員になりたくても競争率がひどいところで50倍という超狭き門で、泣く泣く一般企業に就職した友人がたくさんいます。ところが今では大阪などは他府県から現役の先生を引っ張ってくる策をとるほどまでに。教員になりたいという学生も、昨今の学校崩壊、教育現場の混乱、コロコロ変わる制度を目の当たりにして、一気に減ってしまった。昔は「学校の先生になりたい」といえば親に誉められ、あるいは「教員になれ」と親から言われるほどの人気職業だったのに。
このような状況が学校から、今度は医療の現場にも??
患者は地方の診療科の減少、医師不足に不満をもらし、一方医師は産婦人科、小児科に続き脳外科などハードな現場、高度でミスが命とりな現場を避ける。完全なる悪循環です。
マスコミも、衝撃的な報道をするよりも、現実を見据えた上でどう対処すべきかの方策もあわせて述べない限り、単なる大衆紙、ひどくは扇動・混乱を招く原因を作り出す元凶であります。批判の垂れ流しは事態を更に悪化させるだけ。
政治も新聞も、公の発言力をもつ人・機関は、発言するに際し、それに責任が付随してくることを忘れてはいけません。飲み屋での愚痴とは影響力がまったく違うのですから・・・
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by felice_vita | 2006-09-24 19:22 | 日々雑記
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